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マミーの日本語教師こぼれ話
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カテゴリ:マミーの日本語教師こぼれ話( 30 )
マミーの日本語教師こぼれ話 【奇跡のTAFE-いろんな人々の巻】
TAFEのクラスにはまだまだいろーんな人たちがいました。
 県知事のマーフィ、小学校校長のデービッド、デービッドの奥さんのジェーン(小学校教師)、眼鏡屋を経営している検眼師のマイケル、大きな農場に住んでいる小学校教師のヘレン、英国貴族の称号を持つ大学教授(Sir Johnと呼ばれていました)を夫に持つ、奥さんのパトリシア。パトリシアさんの出席をとるときは必ず名前の前に「Lady」をつけて呼ばなければいけませんでした。パトリシアさんの家に招待されたことがあるのですが、たいそう立派な家でした。たくさんの写真が飾ってあって中でもパトリシアさんのご主人がエリザベス女王からSirの称号を授けられている場面の写真はレイディ パトリシアさんの自慢でした。
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       ヘレンの農場でのバーベキューパーティにて

左から、ヘレン、妊娠8ヶ月の私、Sir John,Ladyパトリシア、ジェーン
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by linkprogram | 2006-08-17 17:44 | マミーの日本語教師こぼれ話
マミーの日本語教師こぼれ話 【奇跡のTAFE-ジム・フォーサイス(夫)の巻】
ジムは当時32歳でした。彼はいつも私の真ん前の席を選び、またそこは一番教室の電気が反射する場所でした。反射した光でジムの青い瞳がキラキラ光り、金色の眉毛はその光のせいで全く見えず、彼が温和な表情をくずし真剣になったときは少々恐ろしく、子供の頃、神楽で見た、般若の面に似ていました。長い間、私はジムには眉毛がないと思っていました。
ジムは私に、「近いうちに日本に行きたい。先生が日本に帰ったら訪ねていってもいい?」
と聞いてきました。
私は、「私は4ヶ月後に帰国するからそのときならいいよ。」
と返事をしました。しかし実際、突然こんな外人がうちにきたら家族はたまげるだろうな~と頭の中で思いました。
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          付き合い始めた頃のジムと私 


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              結婚1年後

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by linkprogram | 2006-07-30 17:43 | マミーの日本語教師こぼれ話
マミーの日本語教師こぼれ話 【奇跡のTAFE-ハンサム好青年スティーブンの巻】
22歳のスティーブンはハンサムな好青年でした。近いうちにワーキングホリデービザで日本に行くことを希望していました。彼は私と一番年齢が近かったこともあり、とても気が合いました。彼は私をバレーボールクラブに連れて行ってくれ、私は毎週バレーボールを楽しむことができました。彼がある日、「クリスマス休暇を1ヶ月取った。サチコ先生、1ヶ月日本に行って、いろんなところを見てみたいんだけど。」と相談して来たので、私は彼のために日本の私の知り合い、全てに連絡を取り、ホームステイをお願いしてみました。
名古屋の私の大学時代の教授、熊本の中学校の体育教師をしていた大学時代の友人、私がオーストラリアに来る前にお世話になった広島の教育委員会の指導主事さんがスティーブンのホストファミリーを引き受けてくれました。
 
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         私のホストマザーに抱っこされているスティーブン

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by linkprogram | 2006-07-28 17:42 | マミーの日本語教師こぼれ話
マミーの日本語教師こぼれ話 【奇跡のTAFEクラス-セーラとアリスの巻】
次に若い子は16歳のセーラで、「お金持ちお嬢様学校」に通う、いかにも若い女子高校生らしい子でした。セーラは大豪邸に住んでいる大金持ちの娘で、一度TAFEの教室が突然使えなくなったことがあり、彼女の家でレッスンをさせてもらうことになりました。TAFEのクラス全員で彼女の家を訪問したのですが、ものすごーいお城のような家でした。


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       お城のようなセーラーの家 
その次に若かったのが17歳のアリス。アリスは50歳の父親、ブルースと2人でTAFEに来ていました。アリスの母親はベトナム人で、ブルースは昔ベトナム戦争に行って、その時に出会ったのがアリスの母親だそうです。後に2人は結婚し、アリスが誕生したということです。アリスの目は青かったけど、顔全体はアジア系でした。ブルースはアリスのベトナムの名前を漢字で書いて教えてくれました。ブルースはひらがなはもちろん、漢字も書け、彼の日本語は既に上級ともいえるほどでした。しかしとうとう彼はどこでどうやって日本語を習得したのかは教えてくれませんでした。大きな秘密のようでアリスも父親の昔のことは知らないと言っていました。
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by linkprogram | 2006-07-27 17:41 | マミーの日本語教師こぼれ話
マミーの日本語教師こぼれ話 【奇跡のTAFEクラス-最年少リチャードの巻】
水曜の夜のTAFEクラスは、私の思い出のクラスです。そのクラスにはいろーんな生徒がいました。一番若い生徒は15歳のリチャードで、地元の有名私立高校の生徒でした。高校の日本語の授業が物足りないという理由でTAFEに来たようです。日本語が大好きで、頭の良い、実に大人びた(見た目は30過ぎのおじさん?!)落ちついた子でした。2年後に、ラ・トローブのエリアから40名ばかりの日本好きの人々が集まり、私が引率となり日本に来たのですが、そのメンバーの中にリチャードも入っていました。広島での自由時間のときに「リチャード、どこに行きたい?」と聞いたら「日本語の辞書がほしいので大きい本屋に連れて行ってほしい。」との答えでした。同年代の高校生達は、勝手に広島の繁華街をうろついて楽しんでいましたが、リチャードは、こんな生徒でした。立派なもんです。
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           ラ・トローブ 修学旅行団 愛知県春日井市の小学校にて

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by linkprogram | 2006-07-20 17:40 | マミーの日本語教師こぼれ話
マミーの日本語教師こぼれ話 【若かりしあの頃の巻】
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               その頃

 その頃私は1週間のうち、月・火曜日はバーリンガー養護学校で日本語、日本文化、体育のレッスンを受け持ち、5才~17才までの子供達を教えていました。水曜日の午前中は、ニーリムサウスの小学校で、そして午後は中学校で教え、木・金曜日はいろいろな学校に呼ばれて日本語講師として飛び回っていました。
 さらに・・・・。
こんなにも慌しい生活の中で若者らしい「夜の楽しみ」もおとずれました。
火曜の夜はバスケットボールクラブ、水曜の夜はTAFEのクラス、木曜の夜はバレーボールクラブです。バスケットボールクラブは、私の2件目のホストマザーがそのクラブのメンバーだったので誘ってもらって入りました。
バレーボールクラブには、TAFEのクラスの生徒の一人(スティーブン・ライト22歳)がクラブのメンバーでその生徒に誘われて入りました。このバレーボールクラブはとても強くって、なななんと、年末には地区大会で優勝しトロフィーを勝ち取ったのです!!!最高の気分でした。
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            バレーボールの仲間達とキャンプに行きました

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by linkprogram | 2006-07-17 17:39 | マミーの日本語教師こぼれ話
マミーの日本語教師こぼれ話 【初めてのTAFEのレッスン】
TAFEのマネージャーのバリーさんから、「日本語クラスの人気はすごく高くて、すぐに、30名の申込みがあり、締め切った。どうか、30名を教えて欲しい。」と連絡がありました。

私は、TAFEの講師となり、30名の生徒に日本語を教えることになりました。
TAFEでの1番最初のレッスンを今でも私は忘れることはできません。
私は、日本では、小学校と中学校でしか教えたことはなく、30名もの大人を目の前にしたときは、本当に緊張しました。当時の私と同じくらいの年齢、20代から70代までの男性、女性が机について、じっと私を見つめていました。まあ、初対面というものは「この人、どんな人間なのかしらん。」とお互い興味深々で見つめ合うものです。まして、人種も違い、今まで住んでいた国も違い、言葉も違うのですからね。私は、緊張していましたけど、生徒さん達は、物珍しそうに私を見ていました。

生徒の名簿をもらってはいたのですが、聞いたことのない名前は、なかなか読むことができません。ファーストネームはともかく、名字は本人に聞いても発音できなかったりして、いつも授業の最初は日本式に出席を取ったのですが何度もおかしな読み方をして、生徒に笑われました。実は、このときの生徒の1人だった、夫のジムの名字のFORSYTHを結婚するまでフォーシスと読んでいました。結婚前にジムが、「サチコのファミリーネームはフォーサイスになるよ、フォーシスじゃあないよ。」と言ってもらって、真っ赤になりました。

                   その頃の私

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by linkprogram | 2006-06-17 17:37 | マミーの日本語教師こぼれ話
マミーの日本語教師こぼれ話 【TAFEの講師】
夢のような、アデレイドでのホリデイは終わり、3学期が始まりました。私の滞在するバーリンガー養護学校に私を訪ねて来た人がいました。その人は、TAFE(オーストラリアの全土にある、国立専門学校)のマネージャーで、「日本語を習いたいという人が地域に急増していて、日本語クラスを開講することになったので日本人の講師を探している。この学校に日本人の先生がいるという噂を聞いて来た。」と言われました。
開講しようとしている日本語クラスとは、毎週1回、夜の7時から9時までの2時間、定員15名で、ローカル新聞に告知して生徒を募集するということでした。そして、観光ビザの私には給料が払えないが、お礼という形でTAFEの講師の給料と同じ金額を私の口座に振り込んでもらえるということで、私は、「はい。TAFEの講師をやらせていただきます。」と返事をしました。
このころ、私は、27回目の誕生日を迎えました。
         誕生日パーティを開いてもらいました

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         誕生日に農場に連れて行ってもらいました

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by linkprogram | 2006-06-17 17:36 | マミーの日本語教師こぼれ話
マミーの日本語教師こぼれ話 【アデレイドにて】
私がアランとアンの家に来た翌日、アランとアン夫婦の友達のお医者様夫婦が2組到着しました。それから1週間、私は3組のお医者様夫婦つまり6人の現役お医者様達と休暇を過ごしたのでした。毎日、ワイナリーをドライブして、
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                     バロッサバレー

ランチ、ディナーはいつも5つ星レストランでした。
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彼らは、何をするにしても、「いくらお金がかかるか」ということには無頓着でした。さすがに毎回、おごってもらうことに後ろめたさを私は感じ、「私も支払うべきだと思う」と言ったら「気にしないことだ。私達があなたを招待しているのだから。」
と、言ってくれ、私はお言葉に甘えたわけです。どちらにしろ、私には毎回、超豪華な食事代を払うほどのお金の持ち合わせはありませんでしたし。
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             ワイナリーのレストランの樽の中

アデレイドで、毎朝 海で泳ぎ、ワイナリー巡りをし、5つ星レストランでの食事、、、夢のような毎日でした。
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                    ワイナリー巡り

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by linkprogram | 2006-05-17 17:35 | マミーの日本語教師こぼれ話
マミーの日本語教師こぼれ話 【アランとアン夫妻】
ホストファーザーのキースは、国際的なドッグショーの審査員もするくらいの人ですから、キースから子犬を買いたい人は後をたちませんでした。キースの犬、エアデールテリアを買う人たちは、お金に余裕のある人達なので、キースには、医者や弁護士、ビジネスマンの友達がたくさんいました。キースの友達の中でも、特に親しいアデレイドに住んでいるというアランとアンという医者夫婦は、日本人を自分の家に招待することが趣味ということで、6月末から始まる2週間のスクールホリデイにアデレイドに来ないかと私を誘ってくれました。
ラッキー!!!シドニーに続き、アデレイドにも行けるなんて!メルボルンからバスで約11時間ほど揺られ私は、アデレイドのブライトンビーチに到着しました。
アランとアンの家は豪邸で、私はよく迷子になりました。ベッドルームが6部屋以上ありました。オンスイート(部屋にバスとトイレが付いている)も3部屋はあったかな。結局、全ての部屋を探検することは失礼だと思ってしなかったので、どんな部屋が何室あったのかは不明です。
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                 アランとアンの家

その豪邸に、アランとアンと3匹のどでかいエアデールテリアが住んでいました。アランとアンは、犬を連れて家から歩いて数分の海岸へ散歩に行くことが日課でしたので私も便乗して毎朝、海へ行き、ひと泳ぎしてから帰りました。
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                  アンと犬達と私

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by linkprogram | 2006-04-25 17:34 | マミーの日本語教師こぼれ話