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マミーの日本語教師こぼれ話
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「マミーの日本語教師こぼれ話」日本語教育メニュー
日本語を出張講師で教えに行ったときのメニューです。

       日本語(数字・挨拶・自己紹介など)
       折り紙(犬・チューリップ・ピアノなど)
       習字(一二三や、木、林、森などの漢字を水彩用の筆で書く)
       料理(子供とおにぎりを実際に作る)
       食べ物(家庭料理の本から写真を見せながら)
       スライド(日本の家、学校スーパーマーケット)
       剣道(正座、黙想、礼、新聞紙で竹刀を作って中段、下段の構えの指導)
       居合(私の実演のみ。切腹の介錯(かいしゃく)の型がウケました。)


ほとんどの学校から2回目を依頼され、ある、学校には三度行きました。


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                     小学校で剣道の指導

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# by linkprogram | 2006-04-19 17:33 | マミーの日本語教師こぼれ話
「マミーの日本語教師こぼれ話」日本語教師は人気者
バーリンガー養護学校と、ニーリムサウス小学校、高校で日本語を教えるようになって2ヶ月が経った頃、周囲の学校から「1日だけ、日本語を教えてほしい。」と出張講師の依頼の電話がかかるようになりました。どうやらバーリンガー、ニーリムサウスの先生や生徒が広めたようです。
一度、ある学校に1日出張講師で出かけると、次の週には噂を聞きつけた別の学校から、「ウチにも来てほしい。」という電話がかかるという感じで、私は毎週いろいろな学校に出向きました。お金持ちの子女ばかりが通う、学費もとても高そうな私立のハイスクールに行く日があるかと思えば、ブッシュ(森)の中の全校生徒が20人ぐらいしかいない小さな小学校など、実にいろいろでした。
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                ニーリムサウス高校にて



大きな学校より、小さな学校の方がフレンドリーで、教える私も楽しめました。回を重ねるごとに1日出張講師も板につき、1つのクラスに6時間続けて教えるバージョン、平和教育(私は広島出身ですので原爆について資料を見せながら話をしました。)などいろいろなバージョンをつくりました。
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# by linkprogram | 2006-04-17 17:30 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」 大親友レイシーとの出会い
ニーリムサウス小学校のすぐ隣には、ニーリムサウスハイスクールがあり、ハイスクールからも日本語を教えてくれと頼まれました。それで毎週火曜日は午前中小学校へ、午後はハイスクールに行くことになりました。ハイスクールでの初日、女優のように美しい家庭科の先生が「私のクラスで日本の料理を教えてくれない?」と職員室で話かけてきました。彼女があまりにも美人なので、「私はあなたのように美しい女性と会ったことは今までない」と真剣に言うと「そんなこと、今まで言われたことは一度も無い」ととても恥ずかしがっていました。彼女の名前はLacyレイシー、彼女とは今でも大親友です。私とジムの結婚式のブライドメイドもしてくれました。
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長女の伊織のゴッドマザーでもあり、私とジムが不慮の事故で亡くなった場合、レイシーが伊織の後見人となります。現在サンシャインコーストに滞在している伊織は休暇になるとクイーンズランド州から飛行機でビクトリア州のラトローブに住んでいるレイシーの家まで毎年行っています。
       伊織が生後6ヶ月のときの、名付けパーティ

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 Lacyと私は強い絆で結ばれています。将来、お互いのハズバンドが自分達より早く亡くなったら(ジムさんごめんね。)一緒に住もうね。と約束しています。
       6年前、生後3ヶ月の伊吹を連れてレイシーに会いに行きました。
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# by linkprogram | 2006-03-29 17:29 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」 いよいよ日本語教師生活の始まり
イースターホリデー後、バーリンガー養護学校での私のタイムテーブル(時間割)も決まり、それぞれの学校の担任と話し合い、何をどう教えるかを決めていきました。私は体育(私は日本では体育教師の資格がありましたので)家庭科、日本語クラブを受け持ちました。バーリンガーの家庭科の先生、ケイト・スミスさんのご主人、デービット・スミスさんはニーリムサウスというとっても田舎の小さな小学校の校長先生でした。デービットに依頼されて、私はニーリムサウス小学校に毎週火曜日に行くことになりました。*10年後に長女の伊織がデービッドの計らいで、この小学校に留学することになるだなんて、もちろん夢にも思いませんでした。伊織が留学したとき、ローカル新聞に「母子2代に渡って」と掲載されました*
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# by linkprogram | 2006-03-27 17:28 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」 運命のMtコジオスコ
楽しかったシドニーを後にし、キース・ラベル家と私は帰途に着きました。ドライブにドライブを重ね、ニューサウスウェールズ州と、ビクトリア州の境にあるMt.コジオスコ   に到着しました。そこはオーストラリアでは一番有名なスキーリゾートということで、私達は山小屋のような施設に泊まりました。その山小屋はスイスの建物のようで何ともステキでした。
 翌日、山の頂上にも登りました。
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この1年と半年後、同じ場所に私は夫のジムと旅行に来ることになるとは・・・このときはそんなこと夢にも思いませんでした。
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# by linkprogram | 2006-03-26 17:27 | マミーの日本語教師こぼれ話