「日本語教師こぼれ話」オーストラリア行きの決心
2005年 12月 18日
私は子供の頃から外国に行きたいと願っていました。洋画や外国文学、果てはアニメーションなどから夢を膨らませていきました。
南の虹のルーシーが大好きでした 小さい頃から夢を見ていたにもかかわらず、やっと海外へ出ることが実現したのは26歳のときでした。私は、その頃、重度身体障害者授産施設で働いていました。将来の夢は“養護学校の教諭になること”でした。私は養護学校の教諭になる前の社会勉強として福祉施設に就職していたわけです。そこの所長の薦めもあり「オーストラリアの養護学校を見学してくる」ことが実現しました。観光ビザを使って6ヶ月の滞在をすることを決めました。それが観光ビザでできる最長の期間でしたから。
by linkprogram
| 2005-12-18 17:06
| マミーの日本語教師こぼれ話
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