日本語教師アシスタント派遣 リンクプログラム
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「日本語教師こぼれ話」初めての海外
私は26歳でオーストラリアに渡る前は、一度も、海外へ行ったことがありませんでした。飛行機にも乗ったことはなく空港にさえ行ったこともなかったのでオーストラリア行きの決心をしてから出発までの3ヶ月間は、いろんなことを想像しながらのどきどき、わくわくの準備期間となりました。

準備したものとして滞在先の養護学校で見せたり紹介するものがあげられます。まず日本の風景、日本の学校、私の家の中、スーパーマーケットの中、兄の結婚式、広島の平和公園、広島の街などなどを写真に撮りスライドにしました。

中でも日本の学校の授業風景や、生徒たちを写真を撮るには、大変な努力を要しました。当時は私は学校の教員ではありませんでしたので、私の母校の小学校に「オーストラリアの教育現場で日本の学校の紹介をしたいので写真を撮らせてほしい」と頼んだのですが、断られました。それで、勇気を出して、広島市教育委員会に出向きました。そのときに出会った指導主事の先生が本当に親身になって下さり私のオーストラリア行きの決心を激励していただきました。その先生の助けで、私は、広島市の小・中学校を訪問し、いろいろな場面を写真におさめることができたのです。この先生には後に私が修学旅行団をオーストラリアから連れてきたときも、それはそれは、お世話になりました。まさに私にとっては、大恩人です。この先生は、現在は某大学の教授になっておられ、幸せなことにいまだに交流が続いております。

また、私の特技は剣道(3段)でしたので相手がなくてもできる居合を3ヶ月間、何とかかたちになるように居合いの達人の方に特訓してもらいました。英会話学校にも3ヶ月間通いました。そのときの英会話の先生に手伝ってもらって私の行き先の養護学校へ私の自己紹介、飛行機の到着時間を書いた手紙と写真を数枚同封して投函しました。

何しろ18年も前のことなので私の周りには海外に長期間、滞在したことのある人は皆無で何をどう用意したらよいかなんてことを相談できる人はいませんでした。

私は広島からわざわざ東京に行き成田空港から出発しましたが今、私の息子(15歳)は一人で広島空港からオーストラリアのシドニーへ何の心配も感動も準備?もなくハイキング感覚で1年に一度往復しています。時代はかわったものです。
              アリマが出発した日 広島空港にて



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そのときは、広島から東京まで新幹線で行きました。それだけでも私には大旅行でした。それから成田空港に行ったわけですが私はスーツケースではなく剣道の防具と竹刀と居合刀を持っていました。成田空港に到着する前、バスの中で検閲があり私が刀を持っていたせいで、かなり長い間、質問が続きこの段階で私はオーストラリアに本当に行けるのか不安になりました。当時は成田空港のあたりはいろいろなことでもめていて、紛争が勃発していました。
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by linkprogram | 2005-12-20 17:00 | マミーの日本語教師こぼれ話