「日本語教師こぼれ話」 いよいよ日本語教師生活の始まり
2006年 03月 27日
イースターホリデー後、バーリンガー養護学校での私のタイムテーブル(時間割)も決まり、それぞれの学校の担任と話し合い、何をどう教えるかを決めていきました。私は体育(私は日本では体育教師の資格がありましたので)家庭科、日本語クラブを受け持ちました。バーリンガーの家庭科の先生、ケイト・スミスさんのご主人、デービット・スミスさんはニーリムサウスというとっても田舎の小さな小学校の校長先生でした。デービットに依頼されて、私はニーリムサウス小学校に毎週火曜日に行くことになりました。*10年後に長女の伊織がデービッドの計らいで、この小学校に留学することになるだなんて、もちろん夢にも思いませんでした。伊織が留学したとき、ローカル新聞に「母子2代に渡って」と掲載されました*
by linkprogram
| 2006-03-27 17:28
| マミーの日本語教師こぼれ話
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