日本語教師アシスタント派遣 リンクプログラム
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「日本語教師こぼれ話」生徒達と乗馬体験
バーリンガー養護学校では、毎週、カヌーと乗馬のレッスンがありました。毎回、私もレッスンを受け
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お陰でカヌーと乗馬の腕が上がりました。ただ、英語の聞き取りが下手でしたので乗馬の先生の指示がなかなか伝わらず馬の腹を蹴るべきなのか手綱を引くべきか緩めるべきかがさっぱりわからず、毎回、恐怖でした。命がかかっているものですから、必死で、先生が言っていることを理解しようとしました。 

カヌーのレッスンも同じことでした。こちらは実は2回ほど生徒といっしょに川に転落しましたが。2回目の転落のとき、目の前に大きなペリカンの死骸が漂っていて、「げろげろげろー」と声をあげてしまいました。
カヌーのレッスンを受けた場所は、ヌルカン湖でした。そのころから、「Schikoに英語を教えてあげよう」ムードが養護学校の生徒の中で広がっていましたので、1人の生徒が「I saw a dead pelican in the Nulukan.」という文章を作って教えてくれました。ペリカンとヌルカンのごろがおかしくて生徒といっしょに笑いました。

まったく、どっちが先生だか。。。。。。。。
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# by linkprogram | 2006-02-17 17:19 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」養護学校で
バーリンガー養護学校は、ビクトリア州のMoeマーウイという小さな町にありました。Moeマーウイは、大きいスーパーマーケットやデパートがある街、MorwellモーエルとWarragulワラガルの中間地点にある小さな町で小規模なスーパーマーケットと銀行と郵便局ぐらいしかないところでしたが、湖や農場がすぐ近くにあり、養護学校の生徒の特別活動として毎週、乗馬とカヌーが行われていました。私も毎週、乗馬とカヌーをすることができました。ああ、そうそう、この町のはずれに、日本でいえば、明治村(もっと、もっと、小さいけど)のような歴史的な村、マウイ ヒストリカル ビレッジ がありました。昔の教会とか、汽車とか、家とか、お店とか、庭があり、とてもステキなところです。

バーリンガー養護学校は、レンガ造りの一階建ての建物で、5歳から17歳までの生徒がおよそ100人あまり通っていました。毎週月曜日の朝、アッセンブリーと呼ばれる朝会が行われ、初日には、私は生徒全員の前で紹介をされました。キースが生徒達に何を言っているのかは、さっぱりわからず、「Hello,My name is Sachiko.Nice to meet you.」と言うのが精一杯でした。さて、それさえも通じたのかどうか、わたしにはわかりませんでした。
                    養護学校 初日

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私は、バーリンガー養護学校で、体育の授業のアシスタントと家庭科の授業のアシスタントをし、クラブ活動として「剣道」と「日本語」を担当しました。
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# by linkprogram | 2006-01-22 17:17 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」ホストファミリーでの生活
ホストファミリーのキース・ラベル一家の1日は6時半のラジオから流れるクラッシック音楽によって始まりました。ラジオの音楽と同時に犬たちが大合唱を始めました。キースはまず、犬たちにエサをやり、犬たちを静かにさせて今度は家族全員の朝食の準備をしました。一家の父親が毎日、朝食の用意をすることは私には大きな驚きでした。その上、家族全員のお弁当もキースが作りました(私のも含む)。キース、ありがとう。
朝食後、キースはスーツに着替えて、威厳のある校長の姿に変身しました。7時40分に双子のベリンダとルイーズは、スクールバスでハイスクールに、ホストマザーのトリッシュは自分の車で勤務先の学校に、キースと私はキースの車でキースが校長をしているバーリンガー養護学校に向いました。養護学校はキースの家から車で30分くらい走ったところにある、Moeマーウイという小さな町にありました。
                キースの家の暖炉の前で

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# by linkprogram | 2006-01-20 17:16 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」ホストファミリーを囲む人々
最初のホストファミリーであるキース・ラベル一家には、たくさんの友達がいました。2番目のホストファミリーになってもらった、スー・ギルバート一家、キースの親友のデイビッドとケイト、お医者さん夫婦のイアンとアン などなど。みーんな、とても親切でやさしくてこの人たちのお陰で私はオーストラリアが大好きになりました。中でも、デイビッドとケイトは、後に日本にも来てくれましたし、何度かイオリのホストファミリーにもなってくれました。

私がオーストラリアに到着した週の週末、キースの家にキースの友人達がみんな集まり、パーティが開かれました。スライド上映会が開催されたのです。当時は、ビデオや、DVDはありませんでしたから、たくさんの人たちに映像を見せる手段は、写真を引き伸ばして紙芝居を作るか、スライドを上映するしかありませんでした。私は、日本で「いろんな写真」をスライドにして持って来ていたのです。スライドのことをキースに話したら、是非、上映会をしようということになったのでした。

うけたスライドは、「和式トイレ」「私の兄の結婚式」「玄関」「畳の部屋」「お風呂」「学校の校舎」「うどんを食べている父」「お頭つきの刺身」などが思い出されます。

スライドを見に来た人たちは合わせて、20人くらいはいて、日本文化に興味があるということより珍しい物好きの時間に余裕のある人たちがたくさんいる国なんだなあ、と私はびっくりしました。
                デイビッドの家の近くの風景

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# by linkprogram | 2006-01-19 17:14 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」ホストファミリー
ホストファーザーのキース・ラベルは、養護学校の校長先生でした。ひげがあって学校では怖そうな威厳のある校長先生ですが家庭ではとてもやさしいお父さんでした。ホストマザーのトリッシュ・ラベルは普通学校で勉強している障害児のケアーをする教師で週に3つの学校に通っていました。彼らには13歳の双子の娘、ベリンダとルイーズがいました。
                 キースとベリンダ

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また、キースの趣味、特技が犬の審査員で家には7匹のエアデールテリアと2匹のフォックステリアがおり、毎年、8匹以上の子犬が産まれていました。犬達は広ーい裏庭の犬舎の中で管理されていて、たまーに家の中に2匹くらい入ってくることもありましたが犬が居間とかに長居をすることはなかったですね。キースのところには、何でも「オーストラリアン チャンピオン」の犬がいてその犬の母親と父親もキースが飼っているので、チャンピオンの両親が生む子犬たちはソノ世界では高値で取引されているようでした。
                 犬たち

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キースから犬を買う人たちは大抵、大金持ちの人たちでキースにはお金持ちの友人がたくさんいました。メルボルンにはお金持ちの人たちが住むツーラックという街があって私も何度かラベル一家といっしょにツーラックの豪邸にお邪魔しましたが、大きならせん状の階段とか超豪華な暖炉とか絨毯とか、映画の中のようでしたね。

キースは校長の座を退職した後、犬ホテルの経営を始め今も繁盛しているそうです。娘のイオリも何度かキースに会っています。「犬がたくさんたくさんいるところのおじさん」とイオリはキースのことを呼んでいます。
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# by linkprogram | 2006-01-18 17:12 | マミーの日本語教師こぼれ話