日本語教師アシスタント派遣 リンクプログラム
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「日本語教師こぼれ話」オーストラリアに着いた!
私はコワーイ人たちに囲まれ、いろいろ質問されましたが、もちろん何もわからす「This is just a toy.」と言いながら刃先を指に当てて模造刀であることをわかってもらおうとしました。やっとのことで、彼らは私に何か聞くのをあきらめてくれて、到着ロビーに出るように促しました。気分は暗く、「これからどうなるんだろう?どうやって学校まで行こう?」と、とぼとぼとロビーに向いました。そして、ロビーに出た瞬間、私はSACHIKOと大きく書いてある模造紙を掲げている集団を発見したのです。SACHIKOと書いてある下には、以前、私が送った写真が全部貼ってありました。その集団は、私を見つけると「サティコ、サティコ」と叫びながら近寄って来ました。それは、私を受け入れることになっていた養護学校の校長先生と事務長と家族で,
総勢8人もいたでしょうか。私はこんなに派手に出迎えられて、うれしくてうれしくて。しばらくして、この二家族が交互に私のホストファミリーになってくれるとわかりました。

最初のホストファミリーは、校長のキース・ラベルの家族でした。メルボルンからラ・トローブ地区にあるキースの家まで200キロありました。メルボルンは街でしたが、空港から車で30分も走ると農場ばかりが広がる景色にかわりました。どこもかしこも緑色で、建っている家々には必ず煙突があって、童話の挿絵にあるような家ばかりでした。
               ドライブの途中での景色

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キース・ラベルの家は、丸太でできていました。
                   キースの家

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# by linkprogram | 2006-01-17 17:10 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」オーストラリアの空港で。
周りを伺いながら人のあとをたどりながら、おそれおそれ、チェックインを何とか済ませ飛行機に搭乗したのですが私は、あまりにも小心者なので成田空港に入る前に捕まった?ことが尾をひいて空港でのことはなぜかあんまり記憶がありません。

初めての飛行機は、最高でした。飛行機の機内については、私はテレビドラマでしか見たことはなかったのです。何もかも新鮮な驚きでした。美しいスチュアーデスさんやスチュアートさんが親切にお世話をしてくれてお姫さまにでもなったようでしたね。空に向かって飛ぶときの爽快感!雲に突入するときや薄い雲から下の景色が透けて見えたときの感動。ずっと、ずっと、あきずに外を眺めていました。

さて、時は流れて、オーストラリアのメルボルンに到着まじかになった頃、「空港に着いたあと、私はどうすればよいの?」という疑問が沸きました。誰かが迎えに来てくれているかも知れないし、誰もいないかも知れない。もし、誰かが迎えに来ていても、私は相手が誰かはわからないし、相手も私を知らないし。

遅すぎる心配でした。どうしようもありません。

飛行機がメルボルンに到着しました。半そでシャツに半ズボンにハイソックスといういでたちの男の人たちが数人、機内に入ってきて、小型の”農薬を田んぼに撒くような機械”みたいなもので、シューっと白い煙を機内に撒きました。
娘のイオリにこの話しをしたら「そんなもの見たこと無い」と言いました。今はやっていないのかな。

飛行機を降りて、税関を通りすぎた後、荷物を受取ろうと、ベルトコンベヤーの前で立ち尽くすこと1時間、とうとう私の荷物は出てこなかったのです!半べそをかいていると、半ズボンとハイソックス(オーストラリアの男の人は老いも若きもこの格好が多い。かなりカワイイ)のお兄さんが、私の居合刀を持ってきて、手まねで「これはあなたのですか?」と聞くので、うなずくと、小さい小部屋に連れて行かれ、数人のコワーイ人たちに質問されました。しかし私には彼らが何と言っているのか理解できなかったのです。
          オーストラリアに到着した日の午後

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# by linkprogram | 2005-12-25 17:02 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」初めての海外
私は26歳でオーストラリアに渡る前は、一度も、海外へ行ったことがありませんでした。飛行機にも乗ったことはなく空港にさえ行ったこともなかったのでオーストラリア行きの決心をしてから出発までの3ヶ月間は、いろんなことを想像しながらのどきどき、わくわくの準備期間となりました。

準備したものとして滞在先の養護学校で見せたり紹介するものがあげられます。まず日本の風景、日本の学校、私の家の中、スーパーマーケットの中、兄の結婚式、広島の平和公園、広島の街などなどを写真に撮りスライドにしました。

中でも日本の学校の授業風景や、生徒たちを写真を撮るには、大変な努力を要しました。当時は私は学校の教員ではありませんでしたので、私の母校の小学校に「オーストラリアの教育現場で日本の学校の紹介をしたいので写真を撮らせてほしい」と頼んだのですが、断られました。それで、勇気を出して、広島市教育委員会に出向きました。そのときに出会った指導主事の先生が本当に親身になって下さり私のオーストラリア行きの決心を激励していただきました。その先生の助けで、私は、広島市の小・中学校を訪問し、いろいろな場面を写真におさめることができたのです。この先生には後に私が修学旅行団をオーストラリアから連れてきたときも、それはそれは、お世話になりました。まさに私にとっては、大恩人です。この先生は、現在は某大学の教授になっておられ、幸せなことにいまだに交流が続いております。

また、私の特技は剣道(3段)でしたので相手がなくてもできる居合を3ヶ月間、何とかかたちになるように居合いの達人の方に特訓してもらいました。英会話学校にも3ヶ月間通いました。そのときの英会話の先生に手伝ってもらって私の行き先の養護学校へ私の自己紹介、飛行機の到着時間を書いた手紙と写真を数枚同封して投函しました。

何しろ18年も前のことなので私の周りには海外に長期間、滞在したことのある人は皆無で何をどう用意したらよいかなんてことを相談できる人はいませんでした。

私は広島からわざわざ東京に行き成田空港から出発しましたが今、私の息子(15歳)は一人で広島空港からオーストラリアのシドニーへ何の心配も感動も準備?もなくハイキング感覚で1年に一度往復しています。時代はかわったものです。
              アリマが出発した日 広島空港にて



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そのときは、広島から東京まで新幹線で行きました。それだけでも私には大旅行でした。それから成田空港に行ったわけですが私はスーツケースではなく剣道の防具と竹刀と居合刀を持っていました。成田空港に到着する前、バスの中で検閲があり私が刀を持っていたせいで、かなり長い間、質問が続きこの段階で私はオーストラリアに本当に行けるのか不安になりました。当時は成田空港のあたりはいろいろなことでもめていて、紛争が勃発していました。
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# by linkprogram | 2005-12-20 17:00 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」オーストラリア行きの決心
私は子供の頃から外国に行きたいと願っていました。洋画や外国文学、果てはアニメーションなどから夢を膨らませていきました。
            南の虹のルーシーが大好きでした



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私の記憶では今から30年ぐらい前の私が10代の頃は外国とは宇宙も同じという感じで一生に一度、新婚旅行でハワイまでというのが普通の感覚でした。
小さい頃から夢を見ていたにもかかわらず、やっと海外へ出ることが実現したのは26歳のときでした。私は、その頃、重度身体障害者授産施設で働いていました。将来の夢は“養護学校の教諭になること”でした。私は養護学校の教諭になる前の社会勉強として福祉施設に就職していたわけです。そこの所長の薦めもあり「オーストラリアの養護学校を見学してくる」ことが実現しました。観光ビザを使って6ヶ月の滞在をすることを決めました。それが観光ビザでできる最長の期間でしたから。
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# by linkprogram | 2005-12-18 17:06 | マミーの日本語教師こぼれ話
「日本語教師こぼれ話」はじまり、はじまり
私は、現在オーストラリア人を配偶者に持つ8子の母親です。また、配偶者であるジム・フォーサイスの経営する会社の片腕として、フルタイムで会社経営に追われています。忙しい毎日です。
私は、母親、妻、専務、社長秘書、営業スタッフ通訳係、留学カウンセラー、受付嬢(受付おばさん?)子供英語の講師など、たくさんの顔を持っておりますが私自身は“日本語教師”が本来の顔だと自負しております。

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なぜならば、私は約5年間オーストラリアのビクトリア州の小学校で日本語教諭としてそれを天職だと自ら感じながら働いていたからです。
今は日本で夫であるジム・フォーサイスの片腕として(両腕かも知れません)、日夜、会社経営と子育てに時間を割いておりますが、これは仮の姿、、、、、(ま、仮というのは大変おかしなたとえですが。)いつの日か時が来たら私はオーストラリアで再び小学校教諭に戻るのです。
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私が初対面で誰かとお話しをすることになった場合「どこで、ご主人と知り合ったのですか」「いつごろ、海外に行ったのですか」「どうやって、日本語教師になったのですか」「お子さんはいますか」「8人全員、一人で出産されたんですか」と、だいたいこのような順番で質問攻めにあいます。国際結婚、子沢山、日本語教師 というこの3つが興味を引く話題であるからでしょう。これら、3つの話題をこれでもか、と思いっきり掘り下げてお話することにしました。
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# by linkprogram | 2005-12-17 16:52 | マミーの日本語教師こぼれ話